hicata OS 4.0

いい加減このタイトルも変えないと。本日無事、40歳を迎える事が出来ました。ついに紛れもなくおっさんです。40年も生きていられる事は奇跡なんだと思う。とゆー事で最近思ってる事をだらだら書いてみる。

先月いろんな事があり、自身ふくめ新旧入り交じった人間模様を通して、また自分を見失いかけた。無意識のうちに人の支配下に墜ちてしまうという事は、過去の経験に関係なく起こってしまうというのが驚きでもあった。あのまま行くと、多分また突発性難聴を起こして倒れてたに違いない。

自信というものの定義が、単に自分が出来る事から自分以外のものに移ってきているのかも知れない。今自分が生きている事が、自分だけの力ではないという事を、言葉の意味だけではない、本当の意味を分かりかけてきたという事か。今更ながら私は40手前でようやくその事に気づきつつある。

自分を全否定された時、これからの自分はどうあるべきなのか。

過去の自分は、とにかく自分で何とかしようとして生きてきた。でも年々、自分が関わる範囲が広くなるにつれて、一人で状況を変える事はできなきなくなっている。あの時はできない中でも無理をした。無理をしてぶっ倒れた。その時自分を否定した人を恨んだ。恨む事で納得させた。数年後、薄れていく嫌悪感と自分の立場が変わったおかげか、その人が単に不器用な人だったという事に気がついた。あるべきはずの悪意がその人になかった。それまでの自分の恨みはスッと消えた。

先月自分が否定された時、腹が立つ!と言えた自分がそこにいた。それで済ませられれば良かったのに、周りの目を気にするもう一人の自分は、心の奥の方でどんどんとマイナスの方向に引きずり下ろそうとする。自信がないのだ。想定していなかった視点に対して応えられていない自分に価値がないと感じた瞬間、良い一面の自分をも失わせ、人の手法を真似る、なりたくない自分にさせていった。

人の立場もその人の気持ちもそこにはない。“あの時自分がそうされた”様に、コントロールしようと人を追い込んだ。不器用なあの人と同じ。それが正しい事なんだ。そう信じて行動すればするほど、心はどんどん荒んでいく。これでいいんだ。今はそうすべきなんだ。そうやって言動が変わっていくほど、現実はどんどん自分の望む方向とは真逆に進んでいってる事にも気づけなくなった。自分は、弱い人間だった。鏡が欲しいと思った。

もうこんな事辞めて楽になろう。こんな思いまでして続ける必要がない。どんどんマイナスへマイナスへ自分が自分を追い込んでいく。周りもどんどん見えなくなっていく。でもはたと立ち止まる。辞めるべきは仕事なのか。それとも今の自分なのか。仮に辞めたとして、自分に今何が残るのか? 今の自分は自分だけが築きあげたものなのか? 思い通りにならない事が全てなのか? 墜ちていく中で抵抗しながら、すべてがすべて闇でもなく、光が見えたのも今の仕事だった。

中道を歩めてなかったんだな。結局、これからの自分がどうなっていくべきなのか。どうあるべきなのかは分からない。でも自分が大切にしたいものを、大切なんだと信じる事は、自信に繋がっていく様な気がしている。あと、自分が信じたい人を信じ支えようとする事で、自分が強くなれるなら。それもまた自信なのかなと、今感じている。とは言え、考えてもどうにもならない事は考えない様にする事。それも大事だと思う。

さ、40になって何か変化が欲しい。なので放置していたこのBlogをもう一回やってみようと思う。ネタは何でもいいかな。その内まとまるかなと。という事で人生も折り返し地点ですが、いろいろ興味のある事を、これからも斜に構えず何でもやってみようと思います^^

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