クルマを替えた。

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転勤だから、という訳ではなく。これからもう少し長野で頑張ろうと思って買い替えたら、転勤になったっていう。

39歳。独身。そういうレッテルを自分で貼りつつあったし、何よりますますそういう自分を異質に感じる人が周りに出てきた。先日も転勤先のこれから上司になる人に、何か理由があるのか的な質問をされ、適当に答えなくてはいけなかった。併せて同僚の人からは、これまで女性に目を向けてなかったからだ的な事も言われる(いや、怒ってないですよ?)

一体何がいけなかったんだろうなという気持ちや、ほっといてくれという気持ちがごちゃ混ぜになる。そして必ず、やはりそうかと自分に失望する。他人のワクに当てはめて一方的に言われる事の息苦しさを感じながら、一方でそうで在る事の出来ていない自分に失望するのだ。思えば今年はこんな事ばかりやっている。夏に街コンにも行ってみたが、最終的に出てきた答えも「一体自分は何がしたいんだろう」だった。

コレジャナイ感がハンバない。生活に直結して何らかの弊害を生むかと言えば、そうではないのだけれど。一方的に他人のジョーシキに当てはめられ、仕分けされ、レッテルを貼られている気がする。いや、言ってくる人間は何も考えてない。そう感じ、レッテルを貼ってるのはむしろ自分自身なんだけど。

クルマを替えた。

家族が欲しい。今更だけど、最近そう強く思う事が多くなった。仕事の質も量も変わってきた。自分が守れる範囲はとっくに超えてしまっている。だからこそ、最後に自分で守れるものが欲しい。

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でも。自分の価値観はこれからも大切にしたい。これまでいつか乗れればいいなと思っていたクルマ。特に不満もないし、わざわざ買い替える程のものでもないと思っていたけれど、じゃいつになったら乗れるんだと思った。これから自分のなりたい自分になる過程で、もしかして買いたくても買えない、買えるけど買えない事も出てくるのだとしたら。今しかないなと思った。人生初のガイシャ(Audi TT 8J 2.0TFSI quattro)である。

クルマを替えて気づいた事が3つある。

1つ目は、買った喜びや人に見せびらかすのが自分は得意でないと発見した事。半年前くらいに後輩がクルマを買い替え、その喜びを披露しにわざわざ来てくれたものだが、自分はそういうのが照れくさい。出来れば気づいていてもそっとしておいて欲しい。でも周りは「クルマ買い替えたんですか?」と興味津々で聞いてくる。そこでまた気づく。あぁ、自分という人間は、自分の喜びを他人と共有できないのかもなとか。

2つ目は、ガイシャに替えた事で初めて会ったクルマ好きな人からいきなり話しかけられる事だ。引越業者からは、聞いてもないのに「私は元々5気筒が好きでー」とか話してくるし、いつも行くコンビニの店長からは「いくらしたんですかー?」と聞かれる。ただ、悪い気分はしなかった。前の自分だったら、失礼だ!と感じていたのに。よく見てくれている人たちとの一時一時が、むしろ心地よかったりしている。

3つ目は、クルマで人を評価する人間という生き物の性質だ。そもそも2つ目なんて、いろいろ弄ったSWIFTでさえも起きえなかった事だ。ガイシャかつクーペ。ある程度の経済規模感が想定される事で、他人の目が変わる。自分を見てはいない。人はクルマを見て、自分を評価する。この世はイメージで動いてるんだな。逆に言えば「それ」を手に入れる事で、「そう」見る人を得たのかもしれないが。

てっきりクルマを買い替えたら、絶対マイナスに思われるんだろうなとビクビクしてたけど、むしろ今は替えてよかったと思う。前のクルマ(SWIFT ZC72S XS)を手放すのは抵抗があったけれど、意外に執着してない自分に驚いている。SWIFTはいろんな事を教えてくれた良いクルマだった。それはそうと。この2代目SWIFTスモークグリーンメタリック、TT2の初期設定色にあったし絶対TT2の影響受けてると思う。曲線のラインもなんだか似ていると思うんですけど、どうなんですかね?

確かに、名古屋と長野の8年半は、仕事「しか」してこなかったのかもしれない。でもそのおかげで、また転勤させて貰える程評価しても貰えている。他の人が得られなかったものを単に得ただけであって、他の人が得たものを単に得られなかっただけだ。長野は名残惜しいし、できれば離れたくないけれど、すでに気持ちは次に向かっている。8年半失ったものは、次の8年半で取り返せばいい。クルマと同じ。変えなきゃ変わらない。変わらなきゃ変えられないんだから。

さ。次は新潟だ。

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