「自分を見失う」「自信をなくす」という悩みのアドバイスとして、「心の声を聴きましょう」「ありのままの自分を見つめましょう」「等身大の自分を受け入れましょう」とかをよく聞く。
そもそも方法が分からない
いや、ありのままって、等身大ってどういう状態? どう見つめたらいいの? どうしたら聴こえるのよ。受け入れるって、何を? いっけん答えっぽく聞こえるけど、どうもはっきりしない。途端に、曖昧になる。
すでに自分というものが何であるかがよく分からなくなっている状態では、とりあえず文字通り自分を見つめてみようとする。が、何も映らない。何も聴こえてこない。そうか。やはり自分は何もないのか。そしてまた突き落とされた気持ちになる。
再認知するために
答えらしきものがないか探していたら、最近読んでいる以下3冊にそれらしきものが書かれてあった。
- 心の休ませ方 – 加藤諦三著
人から認めてもらう為に、すでにあなたは全エネルギーを使い果たしてしまってゼロです。自分の本音を聴き取れるようになる為にも、まずは休みなさい。 - 自分に気づく仏教の学校 – 小池龍之介著
常に心に湧き起こるマイナスやプラスの感情は、無視せずそのまま、在るがまま並べ、見つめ、認めましょう。そこから慈悲に拡げていけば、楽になります。南無。 - ずっとやりたかったことを、やりなさい – ジュリア・キャメロン著
湧き出る感情を毎日ノートに書いてみましょう。自分を知り、創造性を助けてくれる羅針盤になるはず(まだ全部読み終わってない)
この3冊、おどろく程テーマが共通している。いずれも「承認を渇愛するが故に満たされず蓄積した恨みが、自分を見失わせる。全ての感情は無視せず並べてみることで、本当の自分を取り戻すことができる。生き方は変えられる」と解説してあった。
自分と対話するということ
ダイエットが三日坊主になるのは、減量することやカロリー、人からのいいね!を気にして、自分の実際の体力やペースを知らずにやみくもに走るから。
今ある服を着てしっくりこないのは、流行や周りの視点に振り回されて、自分の好きな色や形がなんだったのか、放ったらかしにしたから。
何がしたいか分からなくなるのは、社会やチームからの「こうあるべき」に駆り立てられ、ホントの自分の実力や「こうありたい」気持ちを、見て見ぬふりしてきたから。
心の声が聴こえないのは、周りの声を聴きとる事に費やし過ぎてクタクタになり、もはや自分の声を聴きとる力もなく空っぽになってしまっていたから。
再びすべては動き出す
こういった、本当の自分でないものにエネルギーを使い過ぎる習慣から、本来のエネルギー配分に沿った使い方に変えていくプロセスを、1. 心理学 2. 哲学 3. 芸術 の視点で解説されている。
まじめな人、繊細な人がなりやすいと言われる。当の本人にとっては、何をもってまじめなのか、繊細なのかも分からない。他者によってしか自分を認識できない習慣を持ってしまった原因と対策を知ることは、一度きりの人生において間違いなく本当の生きやすさに繋がっていく。
ひさびさに本を立て続けに読んだので、頭がパンパン。私も原因と要因を知ったところ。どうりで最近よく眠れる。