続ける為に必要な力

 姫路のヤマトヤシキが閉店したことは知っていたけれど、2018年から4年経ってもなお跡地は未定との事。111年の歴史だったと言う。

 十数年ぶりだろうか。姫路のみゆき通りを歩いてみた。商店街という形態そのものの元気がなくなったと言われて久しい。平日という事を差し引いたとしても、みゆき通りも例にもれず閑散としていた。

 数は少ないけれど、高校生だった頃から今もそのままの姿で営業を続けている店がある。かたや記憶の姿とは違う、もしくは跡形すらない店がある。気軽に立ち寄ることができ、楽しませてくれる店があれば、なんだか暗く入りにくい店がある。店の在り方に注目して観察すると色々なことに気づく。

 営業する上での最低限必要なルール。そういう知識はこれまで何度も触れてきたので、視覚的な要因を指摘していくことは簡単だ。でもそれだけでは、古びた佇まいでも元気な店の説明はできない。継続する店、しない店。その根本について考えてみた。

 時間は間違いなく経っているのに、世の中は変化してきたのに、今もここに在るという凄さ。看板から滲み出る時間の経過には凄みを感じる。

 一方で、世の中に適応しようとして、色々変化してきて最終的に対応できなくなった店。客観視できず、柔軟性をもつことすら気づけず、今まさに閉店に近づこうとしている店。前回の書評にも通じる。この在り方は人そのものだ。

 あるべき姿を見失わなかった店。一つのことを極め、利を追わず時代に求められる量に応じて続けていく事を選択した店には、本当の強さがあるんじゃないかなーと。

 経営側の自己認知、世の中に振り回されず、逆らうこともしない姿勢。持続していく為の方法に正解はないけれど、こうした視点は重要な気がする。それは志とか、コンセプトとか、発信力とか、対応力とか、そう言ったものとは違う。もっと根底にある力強さ。力まず、適度にやり過ごす力、だろうか。

 アーケードの下を通る。前から、後ろから、横から人が通り過ぎていく。元気な店、閉まった店の前を通り過ぎる。興味のある店に立ち寄る。喫茶店でお茶をする。格好つけた言い方をすれば、商店街を歩くということは人生そのものだ。